12.読書体験

reading report【わたしたちが孤児だったころ】心象・考察

わたしたちが孤児だったころ

7冊目のカズオ・イシグロ作品になる。

もう、ファンと自称してもいいかな。

よく耳にする作品から読んできたので、7作目まで来るとちょっとマイナーなのかも。

どんな内容か、あまり知らずに読み始める。

推理小説っぽい作品らしく、作者自身も「アガサ・クリスティの模倣」だと語っているらしい。

まぁ、大丈夫でしょう。

カズオ・イシグロに外れナシ!

(って言いたいところだけど😅正直「夜想曲集」はよくわからんやったかな)

1930年とは

PART Ⅰ

1930年7月24日
ロンドン

から始まった。

「第一次世界大戦と、第二次世界大戦の間」あたりを背景にストーリーが進むと思って良さそうだ。

1929年にアメリカ発の世界恐慌が来襲。

イギリスも経済不振となって植民地への支配権がどんどん弱まっていった時期。カナダとか、オーストラリアとか。

そんなこんなで、1939年の第二次世界大戦へと繋がっていくんだろう。

日本は、都会で地下鉄が通ったり、家にも電気・ガス・水道が引かれはじめた。

昭和のはじめ頃。少しずつ便利になってきたくらいかな。

reading report

探偵ものだったのか!

2022/4/11...P25

探偵になりたかった子供が、なれずに大人になる人生のお話だろうと思ってた。

けど、推理小説なんだって。調べてたら偶然知ってしまったんだ。

作者自身も「アガサ・クリスティの模倣」だと語っているらしい。

知る前と後で、この作品への印象や興味の質が ガラリと変わった。

自分の「作品を見る眼」の変化に少し驚く。

訳もわからず「こころで棒読み」をしてたのが、絵で頭に入ってくるようになったんだ。

まるでマンガを読むように。

あのまま何も知らずに、読み進めていた方が楽しかったのだろうか。

調べなきゃよかったのか?

いや。

知った後の方が、確かに楽しめている。

ある程度、全ぼうを知って読む方が楽しめるんだって体感できた。

いい経験をしたな😊好かった良かった。

大切なこと

2022/4/13...P33~P47

過去を学び、

目立たず、騒がず、しゃしゃり出ず、

自分を深く見つめて、自分の道だけを見て、

いつの日か有益になるはずの知識を静かに吸収していく。

大切で素敵な姿勢だ😏主人公に見習わなければならない。

しかし、

ある一人の女性をしつこく しつこく語ったあげく、

「彼女の存在すら忘れていたかもしれなかった」なんて わざわざ言うところ。

大いに気にしまくっとるやん!

文面通りに受け取ってはいけない。

これは、主人公クリストファー・バンクスが いくら賢いと言っても、

まだ未熟なところもあって、やりたい盛りの若者である

と言いたいのだ。きっと。

作者がそう読み取って欲しいがための一節なのだと解釈しよう。

絶対🧐この先でキーとなる設定だと読んだ。

アイヴァンホーとは

作中、主人公バンクスが本屋で立ち読みする本。

ボク🙄のイメージは、上の写真ね。

実在の本だろうと思い調べてみた。

イギリスでは有名な伝統的物語で、ロビンフッドも登場する大活劇なんだって。

イギリス人と仲良くなりたい時は、読んでおくと良さそうだ。

子供時代

2022/4/20...P75~P80

PART Ⅱ

1931年5月15日
ロンドン

2章目に入り「現在」の方は1年進んだ。

ここから上海での昔話、子供の頃の話がしばらく続く。

「租界」って言葉が何度も出てきたが、恥ずかしながら知らなかったので調べた。たぶん、中学生くらいで教わっているんだろうな。

租界(そかい)
19―20世紀に列強の侵略下にあった中国における治外法権地域の一つ。

Wikipedia、コトバンク などから引用

日本で言えば、長崎の「出島」みたいな感じなんだろうな。

バンクスとアキラは、上海で出島みたいなところに住んでたんだと解釈しよう。

「現在」のバンクスを 25~30歳くらいとみれば、子供時代は 1908年前後だろうね。

世界をつなぎとめているのは、ぼくたち子供なんだ

2022/4/23...P107

❝全世界をしっかりとつなぎとめているのは、ぼくたち子供なんだ❞

アキラのセリフ。

よくある考えのようにも聞こえるが🙄たぶん作者は、そんな解りやすいことを言っているのではないと思った。

子供の存在が「この世の存在自体をつないでいる極めて重要な根幹」である、といったような概念を伝えようとしている気がする。

他の小説で味わったことがある概念だ。

アーサー・C・クラーク「地球幼年期の終わり」っていう SF小説だった。

ショッキングなラストをありありと思い出す😵あれはシビれた。

関係ないか。😅

覚えているとか、いないとか

2022/4/27...P146

作中で、

「はっきり覚えている」とか、「記憶が曖昧だ」とか、自分の記憶の評価をしながら物語る場面が多い気がする。

一人称であることを鑑みても、なにか意図的に多用している節があるな。

たぶん読み手に委ねているんだろう😉勝手に解釈してもいいってことかな。

話全体を通じて、人間の記憶の曖昧さを問いたいのか。

人は長い時間をかけて、自分の記憶を歪めてしまう。

覚えていると言っていることでさえ、時がたてば全く違う記憶へ置き換わってしまう事もある。

そんなどんでん返しの布石かもしれない。

撚り糸のような存在

2022/4/29...P193

PART Ⅲ

1937年4月12日
ロンドン

第3章にはいり、「現在」の時間は2章から6年経過しているようだ。

養女をとったり、状況ががらっと変わってて戸惑う。

そんな中で「過去」と繋がるセリフ。

「ブラインドの羽根板を束ねている撚り糸(よりいと)のような存在」

子供時代、アキラが発した言葉だ。

❝全世界をしっかりとつなぎとめているのは、ぼくたち子供なんだ❞

と言ったときに使われた言葉で、印象的な例えだった。

作者の思うところの「何か」が込められているのは確かだ。

この例えを使って🤔何を伝えようとしているんだろう。

子供の存在に限った話ではなさそうだ。

本来バラバラであるはずの人間(羽根板)たちが集団としてまとまる為には、純粋な子供や、正義といったような存在(撚り糸)が必要

ということかな。

よく解らなくなってきた。

ホントに探偵もの?

2022/5/4...P216

PART Ⅳ

1937年9月20日
上海、キャセイ・ホテル

いよいよ、上海に入った。

上海に入ってからというもの、ボク😵には時間の前後が激しくて正直ついていけてない。

しかし、この話はホントに「推理小説」なのだろうか。

作者自身が「アガサ・クリスティの模倣」だと語っていたと聞き、ボクが勝手に「探偵ものの推理小説」と思い込んだだけなのかもしれない。

今のところ、少し屈折した恋愛をからめたヒューマンドラマにしか見えないなぁ。

まぁ、まだ半分読んだところだ。

これから、転じるかもしれない。😜

転じるどころか違和感倍増

2022/5/7...P216~302

上海に来てからのバンクスの行動や心の動きに、ずっと違和感を感じている。

そんなにすぐ、何十年も離れていた家に住もうなんて決心できるもの?それも幸せな他人を押しのけてまで。

そんなにすぐ、重大な決心ができるもの?

まだ未熟なところもあって、やりたい盛りの主人公がトチ狂っていると描いているのなら合点がいく。

今まで読んできたカズオ・イシグロとは違うテーマなのかもしれない。

Ⅵ章は怒涛だった

PART Ⅵ

1937年10月20日
上海、キャセイ・ホテル

バンクスが兵隊さんに当たり散らす下りは、作者の意図を図りかねてうろたえた。

恐らくは、若気の至りとか、誰にでもバカなところはある言いたいのだろう。

そして物語はだんだん深刻になりながら、今までの退屈だった流れがウソのように激しく残酷になっていく😨すごい転換だった。

戦災者が死ぬ描写なんてもう映画で映像を見せられるより痛ましい。

こうやって死んでいく人を観たことはないけど何かわかる。

昔のイギリスは奴隷貿易とかアヘン戦争とか、悪いことばかりしていた。アキラや母や悲しい運命、蒋介石のことを絡めながら、責めているようにも見えた。

物語の中で語られる、蒋介石が阿片を売って軍資金にしていたというのは事実らしい。

それもこれも、もとはと言えばみんなイギリス。もうちょっと国家として反省して、すえ長~く欲しいもんですな。

Ⅶ章は虚しさと悲しみ

PART Ⅶ

1958年11月14日
ロンドン

いきなり、21年とんだ。

1958年は、富士重工業が「スバル360」を発売した年で、昭和33年だ。

前章までは第二次世界大戦(1939~1945)の2年前、今章は終結した13年後となる。

よくよく思い起こせば、本音を絶対に言わない人ばかりが登場人物だったと思える。

一人語りだから、主人公のバンクスは自分の思考のなかでも本音を言わない。

最後のサラの手紙への想いもホンネを隠していると思え、虚しさしか感じなかった。

ホント、変なお話だったなぁ。

強烈だったのは、年老いたダイアナに会ったとき。猛烈な悲しさが凄みをおびていた。忘れられなくなるタイプの場面だ。

「クララとお日さま」も「日の名残り」も「わたしを離さないで」も そうだったが、カズオ・イシグロの作品はボク😳の心に強烈なイメージを残していく。

わたしたちが孤児だったころ

カズオ・イシグロ (著)
入江 真佐子 (著, 翻訳)

原題;WHEN WE WERE ORPHANS

  推理小説らしい😉

「クララとお日さま」と比べる

「わたしたちが孤児だったころ」は、2000年に発表された作品だ。

2001年が 9.11の同時多発テロだったから、近代歴史の大分岐点前の最後の作品だね。

読みあがったら、

記憶に一番新しい「クララとお日さま」と比べて考察してみよう。